サバイバルの恐怖(The Survival Fear)

男性または女性「2番目の側」が、1番目の側から独立すること

実はちょっとした地図を描きたいのです。

同じことを全て、沢山の言葉で語るよりも、数本の線を描き、ターニングポイントに印を付けるほうが、ずっと簡単に思えるからです。

 

私の地図は23歳位の時、カリフォルニアのビッグサー(Big Sur)に始まります。私はエサレン研究所のスパで働いていました。マッサージをしていたのです。

 

このスパは太平洋のすぐ上の岬に建っていて、片側がオープンになっていました。だからホットタブに座ったり、隣接したマッサージテーブルで休んだりして、下にある波と交感的なつながりを感じることができたのです。早朝には海から立ち上る霧が温泉の蒸気と混ざって、とても神秘的な雰囲気をつくりだしていたものでした。

  

それは冬のまだ夜明けから、余り時間が経っていなかった頃に違いありません。というのも、そこにはそれ以前に私が見たことのない、1人の若者しかいなかったからです。

 

彼はテーブルの1つに足を組んで座っていて、霧のためにほとんど姿が見えなくなっていました。長い時間の後、彼は目を開き、動き始めました。そして私は彼のところに瞑想を教えてもらうことができるか、聞きに行ったのです。(私は彼がしているのは瞑想だと思ったのです。)

 

ええ、彼のインストラクションはシンプルでした。

背中は真っ直ぐでなくてはならない、目は閉じられていなければならない、それだけ出来たら、ただ座りなさい。

 

その次の機会に私はそれを試しましたが、何も起こりませんでした。

私が3回目にやってみたとき、やはり浴場の中だったのですが、私は小さな個室にいて、そして気づいたことを覚えています。

 

「ヘイ、私、頭よりも下にいるじゃないの」

  

もちろん、自分が頭の中にはいないと突然気づくまで、私は自分が頭の中にいると気づいたことはなかったのです。私の頭は「上の方」にあって、私は下の方の身体の中に、ある種のプレゼンスとして中心を持っていたのです。

 

これがターニングポイントAです。

 

 

中心に出会う

もちろんそれはただの最初の出会いで、「ハロー」と挨拶するようなものに過ぎませんでした。でも私の仕事に関する限り、それには続きがあったのです。

 

1つ目は、私が人々にセンタリングを教え始めたことです。2つ目は、この瞑想的スペースは、私がマッサージしている間にいろんな物事が見えるようにさせました:私はサイキックになりました。

 

私は自分が既に地図上のポイントBに、たどり着いていたことに気づいていませんでした。

 

 

苦闘なしに起こる、楽しめる仕事

働くことで悩んだことがないという意味で、私は幸運でした。

私はサバイバルについて如何なる不安も経験していませんし、このテーマが私に興味を抱かせるかもしれないと、想像したことさえなかったのです。仕事に関する限り物事は簡単でした。

 

そしてサニヤスを取った後も、それは続いたのです。

OSHOは私を教師とセラピストの仕事においてサポートしてくれました。彼は私をプーナ1の幾つかの不快な体験から、保護してくれさえしました。私はグループルームかライターの仕事場にいるかのどちらかで、食物を料理したりトイレを掃除したりしなければいけないようなことは決してなかったのです。

 

 

私はどんな風に一日を過ごしていたか

円グラフを作りました、

そして右目だけを開いてそのグラフを見たとき、

私は言いました「私は何か別のことをしたい。」

 

 

自分自身がポイントBにいるのを素早く見つけたというだけで、それは全く卒業ではなかったのです。地図上の次のポイントに到着するまで、とても長い何年もの時間がかかりました。

 

それが起ころうとする時には、いくつかのサインがありました。

あるグループのエクササイズで私はどのように自分が一日を過ごしていたか、様々な活動に向けられている時間の割合がどれくらいかを、円グラフにするという実験を行いました。

 

私は6時間を仕事のセクターとして描きました(もちろんとても大雑把な話です。なぜなら私の職業では、時間は日によってドラマティックなまでに異なるからです。)

 

私が左目を覆って、右目だけでこのグラフを見たとき、私は自分のグループ・パートナーに向かって声に出して言いました「私は今と同じように一日に6時間働きたい、でも何か別のことをしたい。」と。

 

このとき私の男性性の部分が初めて、多分セラピーは自分のしたい事じゃないと表現していたのです。

 

 

 

 

何か新しいものが地平線から登ってこようとしている、もう1つのサイン「しかし私がお金を稼いでいるのだから、私が最終的な決断をしなければならない。」という文章が私のマインドに聞こえてきたとき、私はただ家でうろうろと歩いていました。

 

自分自身に言うには奇妙な文章です。

私は考えました、私には2つの部分があって、その1つが主張しているのだと。そして私は主張している方の部分が、急に「ダウン」するのを感じられました。

 

この推理が正しいように感じられたので倒れたのです。(内なる男性、内なる女性の体験

 

とにかく、ポイントCへと緩やかに接近していたのです。

 

 

1つ目の仕事との対立

反対していた部分を認識するのに、幾らかの時間が掛かりました。

ただ時間がかかったというだけではなく、新しく現れてきた部分が所有欲や競争と言った、古い失敗を繰り返した苦悩の時期でもありました。

 

 

 自分の中の1つの部分だけが

 成長していたということが

 私に起こりました。

 

 

私は驚いて観ていました「こんなこと、もう通りすぎてきたんじゃなかったの?」そしてゆっくりと私の一部分(女性性)だけが成長したので、もう一方の部分(男性性)はあたかも別人であるかのように、女性性が踏んだのと同じステップを、今から踏まなければならないのだということが思い浮かびました。

 

私はフランスの田舎からミラノという大都市に引っ越しました。その頃には私は自分の男性性の側を、自分の人生の中で完全に歓迎していました。私は意識的にシフトしたのです。

 

私は全ての意思決定を行う者として、自分の男性性を完全に信頼し、そして一年の終わりに金銭的な状況が悪化しているかどうかを見てみようと決めたのです。

私のサバイバルに関する疑いが浮かび上がり始めました。もし私の活動が男性性の側の指示によって変化したら、おそらくお金は十分になくなってしまうのではないか、特にミラノのような物価の高いところでは。

 

結果として、私の活動の主な流れは変化しませんでした。

しかしながら男性性の側は、もう彼のエナジーを個人セッションに捧げることはしないと決定しました。以前は一日に4セッションできたのですが、今それは2セッションに減らされています。だから彼が価格を上げたことになります。

 

私の男性性の側は自らが創設したコンシャス・リビングという協会への関わりを増やし、財政的な概要と社交と音楽を伴うパーティーに、より大きな責任を持つようになりました。彼はジョークを言い、人と一緒に笑うことを楽しみましたが、グループルームという特別な部屋よりも「現実の生活」という一般的な状況でそうしたのです。

 

見よ!

1年後、銀行残高は全く同じでした。そして私は、もし人がサバイバルについて考えすぎさえしなければ、サバイバルは起こるのだということを信頼し始めました。

 

私は男性性と女性性に関連したリーディング、あるいは体験的なワークのため、私のところを訪れるクライアントの中にいつも見ている何かの例を示すために、私の個人的なストーリーを語っています。

 

 

 ほとんどいつでも

 私達の2つの側の1つがより好まれて

 そしてその好まれた方が優勢となるのです。

 

 

その側は全ての注目を受けて、自分自身の興味を試すことに着手して、そして強く美しくなるのです。もう片方の側には反対する勇気がありません(消極的に反対するかもしれませんが)。

それは普通は最善の場合でも、ある種の協力者かサポーターとなります。最悪の場合は召し使いとなります。

 

しかしそれはいつも、より輝く星である1番目の方を向いています。

そして自らの自然な性質とのつながりを失っているのです。

要するに、それはほとんど自分が本当は何がしたいか、見つける方法を忘れてしまっているのです。

 

サバイバルの恐怖をもたらすのは、この2つ目の部分です。それは1つ目の部分を助けるのを止めることを恐れています。そしてそれは助けるのを止めなくてはならないのです。

 

もし自らのエナジーを何か新しいことに注ぎたいのなら、もう片方の側が当たり前と思っている、自動的サポートの終了を宣言しなければならないでしょう。けれども、大きな罪悪感に打ち勝たねばなりません。

 

なぜなら2つ目の部分はこう感じるのです「私は私達が生き残るために学んだやり方から、手を引こうとしているーーーこの意味で私はあなたの味方でない人だ。私は途方に暮れている。そして私は自分が代わりに、何か他の方法でお金を作ることができるかどうかわからない。」

 

2つ目の側は弱いのです。2つ目の側には経験がありません。

2つ目の側は困惑しています。

もしチャンスがそこにあれば、創造性として何がやってくるのか、2つ目の側は明確なアイデアを持っていないのです。

 

 

 私達はサバイバルの恐怖を健康的な対立の

 ポジティブなサインとして

 受け取っても構わないでしょう。

 

 

これが私達の状況です。

でも少し自分が地図上のどこにいるかを認識すれば、私達はサバイバルの恐怖を健康的な対立のポジティブなサインとして受け取れるかもしれません。

 

OSHOが言うように、川が流れるためには2つの岸が必要なのです。

遅かれ早かれ、人は2つ目の岸を建設しなければならないのです。

正しい時においては、恐怖は禁止ではないのです。

まず恐怖がやってきて、それから少しして勇気が後からやってくるのです。

 
OSHO NEWS Online Magazine
 ー 15 April 2014

(Bodhi Dharma訳)